自分でも不思議なのだが、中島みゆきという人の歌や、それから、最近では、表現者としての彼女の考え方や生き方に、とても深い影響を与え続けられている。
もう数ヶ月も前からだろうか、この人の歌やそして言葉に対する考え方などを、見たり、聴いたり、読んだりしている中で、いろいろな事を新たに学んでいる、といった具合だ。
不肖、私、個人的に19歳当たりから、己を「ディヒター」(詩人)と自己認識してこのかた、約33年間、振り返る暇もなく走り続ける最中をも通して、自分なりに、一人でものを書き続けてきたが、そんな、言葉と文、歴史と物語、社会と生活、実感の自由とその普遍化、等々、諸々の事共と格闘してきて、驚いたことに、真淵や宣長、ハイデガーや小林秀雄、ドストエフスキーや空海、そして道元、などが、凡庸な私に問いかけ、敲いてきた、表現の意味、という領野で、中島みゆきという人が、既に、奔放で真率、大胆かつ繊細に、実作を以ってそれを生み続けている、という事を、思えば長い縁である彼女から、ここ数ヶ月位からだろうか、初めて知り、実は、驚いているのである。
ことだま
去年発売された中島みゆきのデータブック(中島みゆき読本 CDジャーナルムック ㈱音楽出版社 )に、こすぎじゅんいち氏の「魔女伝説」や、それから、夜会の第一回目、五回目、十回目などに音楽ジャーナリストのインタヴューや、その他、いろいとな角度から、この人の今までの言行やデータなどが纏められていて、手にする機会があった。初めて読むものなども多くあり、興味深かった。
以下、この本に出ている彼女の発言や、その他、不十分ではあるが、今現在、僕が知る限りの狭い範囲の中で、自分なりに印象深かった事等を書いておきたいと思う。
『夜会』、中島みゆきさんに多少でも興味のある方なら、ご存知だと思うが、彼女は、1989年11月、つまり、彼女が前年の88年の11月にアルバム「グッバイガール」を発表した一年後だが、夜会という、「ことばの実験劇場」と銘打った、今までのコンサート形式と異なる演劇的な音楽空間の創造をスタートさせた。
自分が既に発表した曲でも、それが奏でられる状況や、大げさに言えば時代の背景などが異なった場合、聴く人の心にまるで異なった意味合いのある物として響くのではないか、そもそも自分がやりたい、或いはやっていると思っている所謂音楽活動というのは、顕在化されにくい潜在的な領域にある「ことだま」というものを追い求め、それを輝かせたいという、いわば、「うたのことば」をなんとか具現したいという事なので、夜会では、それをことばの実験劇場という風に表現してみた、といったような意味を彼女はいくつかの場面で話している。
この辺に関心のある方は、夜会5年目と10年目に、ニュース23で、筑紫哲也氏との対談形式ののインタヴューで分かり易く話しているので視聴されたい。
(→筑紫哲也インタヴュー 夜会5年 (41歳)
http://www.youtube.com/watch?v=34T9T5fHxEs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=P9pY3cMXuuM&feature=related
筑紫哲也インタヴュー ’98 夜会10年 (46歳)
http://www.youtube.com/watch?v=RfmAD7w58X8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=egcSdAWuHNE&NR=1 )
ある人がこういうつもりで話した事と、ある人がこういうつもりで聴いた事とが、この「つもり」という心の熱や息遣いのなかで、そのままに出会う事が出来た時、そこに、ことだま、というものが生まれている。自分は、そのことだまというものを、歌のことばで、追い続けている、というような意味の事を、夜会5年目の筑紫氏との対談で話しているのだが、このスタンスは、恐らく、デヴュー以来今日までまったく変わっていないと、僕は勝手に思っている。
話は前後するが、夜会が始まる前に出たアルバムは上に言ったように、「グッバイガール」だが、このアルバムについて、「中島みゆき研究所」(→http://miyuki-lab.jp/disco/soft/al_16.shtml )では、次のようなコメントが記されている。ちょっと、ここに引用する。
『 プロデューサーに瀬尾一三を迎え、音楽的試行錯誤を続けたいわゆる“御乱心の時代”に終止符が打たれた記念すべきアルバム。B-3(は涙─Made in tears─) 、前川清への提供曲。B-4(吹雪)は、北海道・泊原発建設反対運動をテーマにしたのではという説がある。アナログ盤としては最後のリリース(限定生産LP「わたしの子供になりなさい」は除く)。』
と、ある。これは瀬尾一三氏と組み始めた最初のアルバムで、以後、瀬尾氏とは今日までの長い間柄となる。
上の引用文でいう「ご乱心の時代」とは、試行錯誤の時代、という事だ。このアルバム以降、中島みゆきは新しい場面でその音楽活動を展開させる事になるが、夜会が始まったのは、先に言ったように、この翌年、1989年の11月。
歌物語
前置きは抜きにして、いきなり結論、というか、僕の言いたい事を勝手に書くと、中島みゆきという人は、曲としての作品と、それを受け入れる所謂演劇的な脚本といういわば設定状況との関係を、歌物語のような形で考えているのだと思う。歌物語というのは、ザックリと「歌物語の成立には諸説あるが、『万葉集』の「左注」や、『古今和歌集』などに見られるような、和歌の「詞書」に記された出来事との関係が指摘される。例えば『伊勢物語』は『古今和歌集』と重複する和歌を含むが、『古今集』の詞書を改変したと考えられる章段や、『古今集』において隣同士に配列された和歌同士で一つの物語を作ったと考えられる章段が確認できる。
このような歌物語は、次第にその詞書にあたった部分が長大化していくことにつながった。また、その歌物語の作品そのものが、『源氏物語』など後の作品に影響を与えたものも多い。『源氏物語』は「歌物語」とは言えない長大な作品であるが、『伊勢物語』の影響を色濃く受けており、その表現にも引き歌[2]のみならず、和歌の措辞を多く用いた作品である。」(Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E7%89%A9%E8%AA%9E )ということで、要は、歌(和歌)と、その和歌の出来たいきさつを説明したことば書き(詞書)とが同じ作品世界の中で並立もしくは重存している形態のものを指す。僕の言い方で言うと、状況的意味合いと生起した情緒そのもの、出来事と思い、とを、ひとつのものとして融合しようとする表現意思によって齎された意味感情の世界、ということになる。
このような「意味感情の世界」として具体化した作品の特質とは、今在る現実を含んだ上での純粋なリアリティーを私たちの具体的な生活世界・日常世界の中に生きたものとして存在せしめる、という意味で、いわば、「より純粋な現実の創出」を志向している、という、独自の存在様態にある、と、僕は思っている。
みゆきさんは、そういうことを、夜会で実現したいと思ったのだろうし、また、それは十分果たされて今に至っている。
今までの夜会の中で、それが最も純度の高いレベルで実現したのが、10回目の「海嘯」だった。
この作品は、まず、夜会の始まる前に、「スタッフにちゃんとやりたいことを理解して貰うために、最初に小説を書いているんです。それを読んでもらってから、脚本を起こしました。で、最初の小説は一回捨てて、また最初から小説を書き始める訳ですけど・・・」(前掲書P96)と言っているが、一回捨ててから、脚本を書いて、それを舞台演出し、3幕もののその空間で歌われる歌は、21曲、その後、単行本となって出た海嘯という小説は、初めから終わりまで、詩的文章で綴られた、それ自体、独立した言語作品としても高いレベルでの完成度を実現している。「海嘯」はビデオでも独自に製作され、観る事が出来るが、それもまた、大変高い純度を持つ、優れた作品となっている。
更に、これだけ重層的な演劇的状況を設定しておきながら、その状況の中で、彼女自身が歌うそれぞれの曲の迫力や迫真性には、非常に強い説得力があり、彼女のボーカルは脚本状況つまり演劇空間に引きづられる事無く、むしろ、それらを隈なく照らす射光のようであり、歌が劇的空間を引き上げ、まるで、字面のことばをより高次の意味空間の溢れへと昇華させるかのような、深い力を持っている。
これら全体が意味することは、将に驚くべきことだと私は思うのだが、従来の芸術創造のジャンルでは類例を観ないものだと、言わなくてはならない。
通常であれば、脚本家と役者を両立させること自体、大変難しい事であろう、彼女の場合は、かててくわえて、歌い人でもあり、その歌が、実は、全体の中心的な位置に留まり続け、感情意味の付与さえも行使しているのだから、いったい、彼女にとって歌とは何か、と考える時、比較検討するべき何ものかを、少なくとも、自分は探せないのである。
コンテンポラリー
夜会が始まる前年に、『音楽的試行錯誤を続けたいわゆる“御乱心の時代”に終止符が打たれた記念すべきアルバム』 、「グッバイガール」が発表されたことは先に書いたとおりだが、今ここで、虚心にこのアルバムから、次の二曲を聞いてみて欲しい。
十二月 http://www.youtube.com/watch?v=KSJ_xusbxi0
辛辣過ぎるという事で、アルバムには載せられなかった二番の歌詞は、以下のとおり。
「誰を責めるつもりもない
誰に語るつもりもない
横たわる口元は
周到な愛を笑っている
膝を抱えた掌は
力尽きて凍えている
開かれたアドレスには
連絡先がひとつもない 」
吹雪 http://www.youtube.com/watch?v=YTQCqP4qbCw
くどいようだが、このアルバムが出た年が、1988年。昭和63年、翌年が昭和64年つまり平成元年だ。つまり、所謂バブル景気の熱気溢れる時代の矢先である。
出来れば、その時代背景をよく想像して聴いてみて欲しい。
当時はまだバブルという言葉は新聞などには出ていなかった。平成元年の初期の頃辺りから、肯定的な意味で、バリアブル、流動性、過剰流動性という意味合いで用いられたりしたが、それは、空前の好景気称揚する文脈で使われていた。
「吹雪」は、「中島みゆき研究所」のコメントでは、『北海道・泊原発建設反対運動をテーマにしたのではという説がある』と、あるが、僕は、ハッキリ、違う、と思う。
歌詞の一節に、こうあるのは誰の耳にも聞こえる筈だ。
どこにも残らぬ島なら
名前は言えない
また、
恐ろしいものの形を
ノートに描いてみなさい
そこに描けないものが
君たちを殺すだろう
ともある。
これは単なる原発の反対運動という狭い事柄を暗喩しているのではなく、日本の事を言っているのだ。
過剰流動性が一種称揚的に新聞紙上を賑わせていたこの時期、いや、その前夜に、「吹雪」のような曲を発表しているという事実は、中島の類い稀な時代認識力の深さを物語っている。
時代認識の深さ、というより、時代を観る自分自身の立ち位置の深さ、といった方がいいかも知れない。彼女は時代や時流を言い当てようとしたのではなく、自分がもともと立っている場所から、けれども、しかし、私はこう思う、と、率直に歌ったに過ぎない。その結果生まれ出てきた作品を、聴き手がどのように評するかは、また別の問題だ。
ところで、中島みゆきが、種々なる歌を歌う中に、極めて辛辣な皮肉が響く事が、時折ある。ちょっと瞥見してみたい。
例えば、「ローリング」の二番の出だし。
出来れば、1993年10月21日発表のセルフカヴァーで聴いて欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=8RrCdc3RuhI&feature=PlayList&p=3A0F0B46B52EDBA5&playnext=1&playnext_from=PL&index=32
黒白(こくびゃく)写真は
燃えるスクラムの街
足並み揃えた幻たちの場面
それを宝にするには
あまり遅く生まれて
夢の成れの果てが
転ぶのばかりが見えた
この曲も、「吹雪」や「十二月」と同じ88年の発表である。
話しが逸れそうなので、ここで急いで言っておくと、「吹雪」だが、このなかの歌詞の一説、 どこにも残らぬ島なら 名前は言えない」、は、「日本を指して歌われている」と書いた。
中島は、「夜会」以前、所謂「ご乱心の時代」を経て、「歌」の所在の無さ、に既に当面しており、この年から、夜会において、「歌の棲家を自ら生み出す」ということを敢行した、と、自分は捉えているのだ、という事を、先ほどから言いたいのだ。
そして、実は、中島という人が行ったこの種の冒険というものは、すべての優れた芸術家が当面する問題であり、それはどういう事かというと、その者にとって現実とは何かという究極の問いは、作品の創出によってのみ応答と実証を得るのだ、という事態が背景にある。
セザンヌが山の絵を描く、彼にとって、その絵が完成したと思われるその時が、現実の誕生したその時であり、また、例えば、ロダンが地獄の門という大きな作品を完成させたとき、それは現実のなかにひとつの作品が存在し始めたという事ではなく、むしろ全く逆で、その「地獄の門」という「作品の中」にこそ、「諸々の既在の現実が存在を得る」事になった、ということで、中島みゆきは、夜会の中で、実はそういう事をしているのだ、というのが、僕の考えであり、直覚であり、ここ数ヶ月に渡り、学び続けている当体なのだ。
既にそこにある現実的な時代の中に、歌というものの有り様が無い、存在する場所が無い、場合、歌の存立する現実を自分で作る他無いだろう。
万葉集などの和歌というものたちが、やがてすぐに漢才の大波に晒されて、その為、上に言ったような形で、詞書が派生してきて、源氏に至り、和文となっていく、そういう日本の一定の時代の時間経過が表しているようなことと、実は同じ事が、創造する者・表現する人、の中で起こっている、という事が、つまりは、自分がいう「ディヒター」(詩人、芸術家)という人の特徴だと、そういうことを、僕は今、中島みゆきという人に託して、言いたい訳だ。
将にそれを彼女は自覚的に行った、と言ったら、成る程、もしかしたらそれは言い過ぎかもしれない。彼女はそこまで具体的に物を考え、理論付けして、そしてさて、それをやってみた、ということではなく、結果としてそうなった、のかもしれない。
しかし、いずれにしても同じ事だ。
「歌」の存在する場所がここには無い、という、非常にリアルで深刻な状況認知無しに、「十二月」も「吹雪」も、生まれる必然性が無い。殊に「吹雪」では、それが明瞭に前面に出ている。いわばそれは、これから始まろうといしている、いや、既に始まっている時代に対する、明瞭な意識を踏み台とした、はっきりとした反対命題、極めて明確な、否定のメッセージなのだ。原発事故に反対するといったような、ちんけな政治表明的な歌など、いずれにしても中島という人は決して作らない。
何も残らぬ島なら
名前は言えない
というのは、繰り返しになるが、当時の日本の歴史状況を言っている。
御乱心の時代を通して、彼女は歌の所在を求め続けたが、それは結局、今のここには無い、という結論を自分で認める他無かったという事態に直面し、それを目撃した、と言ってよい状況に、中島みゆきはいつのまにか入り込んでいたのだ。
「グッバイガール」はそのような意味で、言葉通り、或るものへの決別、さよならの表明でもあるのだが、その決別の意味するところは、実は深刻なのである。
大変深刻なのであり、ラディカルな事なのだが、しかし、ここで一層耳を澄ませて注意するべきは事がある、と、思う。
彼女は、そのような深刻な「故郷喪失性」に当面しながらも、自分の立ち位置をを指して、敢えて、コンテンポラリー、日本語で言えば、流行歌というスタンスにあり、それが自分のアイデンティティーだ、とも言っている、という点だ。
これはどういうことだろうか。
ここで、少し理屈を言う。
コンテンポラリーを、流行歌と彼女は敢えて翻訳しているのだが、この語は本来、時間性という意味合があり、別にものをわざと難しく言うともりは自分には無いのだが、要するに迎合という意味を含まない、とだけは言っておきたい。
流行歌と言いたいのだから、それは本人の言葉を尊重するべきではあろうが、もう少し広く、今風・現代風である様、と言う意味だ。
そしてちなみに、コンテンポラリテートの原意は、哲学用語で、共時性、共同時間性ということで、ハイデガーなどは、「テンポラリテート」という事を言っており、これは単なる「時刻」「時間」と区別された、存在了解を含む上での時間性、砕けてた言い方でいえば、そこに今ある存在意味を了解した上での活きた時間性、ということで、社会や共同体を意味するコンという接頭語が付くことにより、歴史性という概念の広がりを得る事となる。
中島みゆきの歌の歩みをじっと見ていると、意味合としては、彼女のアイデンティティーの正体とは、そのような意味であると私には思われ、恐らく、それは間違ってはいないと考えている。
唯、彼女は、ハイデガーとか、時間性とか、歴史性とか、そのような難しい言葉遣いが好きではないだけだ。
まぁその、彼女は歌でしかいえない、と言っているので、こういう場合も、彼女自身の歌を聴くに若くはない。
2003年には、彼女はそれをこんな風に歌っている。
「思い出だけではつらすぎる」
http://www.youtube.com/watch?v=DTjJUy10R1E
難しいことばで
あなたの居場所を告げないで
探せないから
風のように距離を
雨のように時を
わからせて
呼び寄せて
つまり、これが、彼女のいう、「歌のことば」であり、彼女のスタンスとアイデンティティーはここにある。
コンテンポラリーというのが、私のスタンスであり、アイデンティティーだ、と言うのは、今目の前にある現実を、否定はしても、無視はしない、むしろ、それをあくまで受け入れる、例えそれが行ってはいけない非の道であったとしても、そこに生きた人間がおり、人間はすべて心を持っているなら、心を置いて他に歩きようが無いのだから、その道を自分も同じように歩き、歩きながら、自分自身の歌を歌い続ける、というのが、彼女の言葉の心だ。そして、歌の所在が現実に無いのなら、それを生み出す、自分はそれを敢行する、というのが、「グッバイガール」の決別の裏の意味だ。
考えれば、哲学概念や文学概念、音楽理論や概念を、いくらアカデミックに巧んでも、それを読んで見て、何が伝わるというのだろう。
それらの学習行為は、いわば、技術習得の熱心ささえあれば、もしかしたら、誰にでも所有することは出来るのかもしれない。
しかし、例えば、実際に彼女の、上に紹介させていただいた曲、・・・この曲の、一番最後の、約11秒程も長く叫ばれる声の響き・・・これは、いったい何だろう。
また、アルバム「10wing」に収められた曲、「泣かないでアマテラス」の、やはり最後の「アマテラーあス !」と、叫ぶ、その声の真摯で、悲壮とさえと言ってよいその真実の力は、いったいどこから来るのだろう・・・。
これも、出来れば、聴いて欲しい。
→ http://www.youtube.com/watch?v=puOjmB6rcjk
シンプルな曲調と、そしてシンプルなことば、・・・けれども、彼女の声の真率さは、直接魂に響いてくる。
夜会の五年目から、書き下ろしの曲の割合が急激に増えてくる。夜会の中で初めて発表される歌の数々を、以後、私たちは見るだろう。
注) 2 以降は、私的な事柄が多くなるばかりのようで、IZAにこのまま勝手にエントリーする事が、何となく憚られ、恥ずかしくもありますので、以後、拙ブログ「山桜」 →http://blog.goo.ne.jp/tousui-00 の方に、気ままに続けたいと思います。・・・そう、あくまでも、自由、勝手、気ままに。
by 透水
平沼議員を支持します。 ☆平…