元海上保安官、一色正春氏講演その1 Senkaku Japan
http://www.youtube.com/watch?v=enbk7z8xJlQ&feature=related
一色正春氏講演その2
http://www.youtube.com/watch?v=RTvAmJQNyQM&feature=relmfu
一色正春氏講演その3
http://www.youtube.com/watch?v=6XWLmVAC4N4&feature=relmfu
来年1月の台湾の総統選で再選をめざす与党・中国国民党主席の馬英九(ば・えいきゅう)総統(61)と、政権奪還をめざす最大野党・民主進歩党の総統候補、蔡英文(さい・えいぶん)主席(55)の間で、対中国政策をめぐる激しい舌戦が展開されている。
経済や軍事で台頭する中国を前に、「統一か、独立か」といった単純な二者択一論は影を薄くし、台湾各紙のオピニオン面の焦点も「中国と具体的にどう向き合うのか」に移りつつあるようだ。
■「戦場から平和の大道へ」
親国民党色の強い台湾紙、聯合(れんごう)報は8月24日、中国福建省アモイ市を眼前に臨む台湾の金門島(きんもんとう)で、(8月)23日に開催された「中華民国建国百年和平祈福日」式典を報じ、馬総統が、金門島が「(中台)両軍による殺戮(さつりく)の戦場」から「平和の大道へ変わった」とスピーチしたことを大きくとりあげた。
かつての中台両軍の激戦「金門(八二三)砲戦」53周年にあわせた式典で、金門島は、辛亥(しんがい)革命(1911~12年)で誕生した中華民国が国共内戦に敗れ、1949年に台湾に逃れた後も死守し、100年間「中華民国」であり続けた象徴的な場所だ。当時の砲弾などで鋳造された巨大な「平和の鐘」も披露され、ノーベル平和賞受賞者の南アフリカのフレデリク・デクラーク元大統領(75)らとこの鐘を鳴らした馬総統は、「1日平均3600人の旅行者が金門を経由し、(中台)両岸を往来している」「台湾海峡の平和は、台湾の繁栄と安定にとり、きわめて大きな鍵」と続け、対中関係改善をアピール。
特に中台間の自由貿易協定(FTA)に相当する経済協力枠組み協定(ECFA)の調印で、「両岸の人々は同様にそのメリットを享受している」と胸を張った。
■一辺一国か一中各表か
一方で、2000年から08年までの民進党政権の対中政策を批判。民進党が中台を「別の国」とする「一辺一国」を主張し、中台が(定義の違いはあれ)「中国は一つ」と認め合う「92年コンセンサス」の存在を否定したことは「両岸間の対立を深め、台湾海峡の安全はきわめて憂慮するものとなり、台湾は国際社会において、より一層孤立するところとなった」と舌鋒を鋭くし、系列の聯合晩報も8月23日の社論で「この平和を軽視すべきではない」などと評価した。
「92年コンセンサス」とは、1992年に中台双方の交渉関係者が口頭で交わしたとされる「合意」で、馬政権は、中台双方が「中国」を各自解釈する「一中各表」と説明している。つまり「一つの中国」の「中国」とは、台湾にとって「中華民国」という解釈。中華人民共和国が、「台湾を含めて中国は一つ」と解釈する政治問題を棚上げする理論だ。
ただし、親民進党色の強い自由時報は8月24日、中国と台湾の違いを重視する民進党や、92年当時の国民党主席で総統だった李登輝(り・とうき)氏(88)らが「92年コンセンサスは存在しない」とする主張を報じ、「中国は対台湾の武力を増強している」とする社論も掲載。
同時に、中台の経済的関係が密接化した今、ECFAを批判してきた民進党も、(8月)23日に発表した今後10年の台湾発展戦略を示す政策綱領の中で、「政権奪回後も直ちにECFAを破棄せず、民意に従って必要な修正を加える」と態度を軟化させ、統一でも独立でもない「現状維持」を基本に、新たな交流枠組みを求めて、不明瞭ながら「台湾コンセンサス」を主張したことも伝えた。
各紙はこれを受けた中国国務院台湾事務弁公室報道官の「(民進党は)台湾独立の立場を変えておらず、非現実的で受け入れられない」「両岸協議を進めることはできず、両岸関係は再び動揺して不安定になる」とする談話も報道。国民党を代弁するかのような牽制(けんせい)に「中国」の存在の大きさを感じた台湾の識者の間からは、対中国論が百出している。
(国際アナリスト EX/SANKEI EXPRESS)
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(以下、筆者の私見)
どこから書いていいか分からないのだが、まず、思いつくまま、勝手に書いていきたい。
一色正春氏の記者会見の様子は上に紹介したユーチューブにある通りだが、一々ごく尤もで、聞いていて、自分はとても安心した。これが普通の日本人の感覚だよなぁと、思った。
日本の内政機構は、殆ど現在の国際情勢の動きに対応出来ない状態だと思う。
スパイ防止法も無いし、国の主権を護る上で基本的な安全保障上の法整備も何ら成されていない。
日本は法治国家であるのだから、法整備が無いという事は、その分野の動きが事実上取れないという事だ。
何となくその場の雰囲気で臨機応変な知恵で合理性を取り繕いながら、今まで何となくやってこれたが、もういよいよそういう事では立ち行かなくなってきている、というのが、極東アジアの現実だろう。
中国は明らかに覇権主義で、アジア一帯を実効支配しようとしている。日本もその目標のひとつで、中国の最終目的は、日本を北朝鮮化しようというものだと想像する。
或る程度基盤を作った中国は、今後、あからさまに日本支配の手立てを具体的に打ってくるだろう。
今までも度々その兆候はあったのだが、何故か日本国内の為政者たちの多くは、その兆候を見逃し、片手落ちの日中友好論で、過去の歴史事実を歪曲してまでも頭を下げ続けてきた。
次に来るのは確実な軍事的圧迫という手段を取って、
いよいよ具体的に中国は、わが国の資源、領土を奪い盗ろうとしてくるだろう。これは間違いないと思う。
そういう中で、わが国のマスコミはそれらの事実を何ら報道しようとせず、また、中国が犯している数々の民族支配、圧政の実態、人権蹂躙の事実などを隠蔽し、耳を塞ぎ、経済的なパートナーとして一緒に共存共栄が図れるかのような幻想を振りまき、経済人たちは、幻想をもってか或いは事実に目を塞いで、目先のカネが儲かるのなら、日本という国など無くなっても良いではないか、といったような確信的認識を持ってか、間接、直接侵略や傍聴工作の蠢きに批判の言葉ひとつ発することなく、唯自社の利益効率を上げるべく獅子奮迅に努めているように見受ける。
要は、企業などのそういった動きを分かりやすく言えば、自社の社員が派遣社員となり経済的にもその他いろいろな意味で苦しみ不幸になっても、それによって自社が中国と経済的パートナーシップを発展させていく事に成功するなら、そちらの方を迷いなく選ぶ、という事を連続的に選択して今に至っている、という事だ。
札に名前は書いてない、という訳だ。
政治家もだいたいまぁ、似たような馴化運動によって選挙を勝ち抜き、安定基盤を確保し、従ってまたそのような安定基盤を齟齬する要素が出てくるなら、例えば、靖国神社に参拝などしないし、調子者に至っては石まで投げる事も辞さぬ、という有様だ。
A級戦犯を人類の敵、と考えるから、それらの人たちだけは他の施設に移そうとか、その類の政論が出てくるのは、石を投げているのと同じ事だろう。
中国は明らかに、わが国にも、アメリカにも、サイバーテロを繰り返しているし、スパイ活動を活発にやっている。軍事情報を盗み取り、軍事侵攻の材料としたい為だし、また、優れた軍事技術を盗み、日本より、またアメリカよりも優秀な武器や戦闘車両、船、飛行機をものにしたいが為である。それ以外の意味のあっての行為ではあるまい。
こういう、ルーティンの輪の中に、今の日本は、構造的に取り込まれてしまった。
責任は誰にあるかといえば、それは一概に、自民党である、とは言えない。
自民党を支持してきた日本の経済界、その経済界の下で働いたきた多くの庶民たちにも、幾許かの責任があるだろう。
しかし、多くの庶民は、戦後、一生懸命に働き、最初は洗濯機を、そしてテレビを、そうして自動車を、と、少しづつ家族の生活が豊かになる事を喜んだとしても、それに何の罪があったというのか。
問題を振り返るのだとしたなら、矢張り、政策を誘導した夫々の時代の為政者や政治団体にある。
だが、それを今一々上げるよりも、危機は現在身に切り込むほど近くにあり、しかも広範かつ深刻に浸透しているという認識を正確に持つ事の方が重要だ。
従来の政治家や政党を今責任論で互いに批判し合ったとしても、それだけでは問題の輪郭を唯不透明にするだけに終わる可能性の方が強い。
問題は今、日本がこの国際社会の中で、中国、ロシア、北朝鮮、という事実上の侵略独裁国家の勃興と覇権主義的拡張政策によって、取り込まれようとしているのだ、という認識を、この国に住む全ての日本人が共通して所有することだ。
既製政党や既製の政治決定機構のルーティンの中では、問題は解決の糸口さえ見出す事が出来ないだろう。
何故なら、憲法ひとつとっても、これを改正をする為には、国会議員の3分の2以上の賛同がなければならず、それぞれの議員は縦横に既存の利権構造のなかに取り込まれ、身動きが取れなくなっているという現状があり、到底改正論にそれだけの割合で一致が見られるとは普通では考えられない。
衆議院と参議院の夫々について、3分の2以上の賛成と、その後、国民投票により過半数の賛成という事であり、これを待っている間に、選挙がそれぞれあるという事になる。
また、社会構造にしても、現在の日本社会を動かしているのは、企業活動であり、要するに、営利企業が動力となり、その営利活動の論理に巧みに乗っていく事が出来るか否かで、財産や地位がほぼそれに呼応して定まるというのが、今の日本の現実だ。
従って、或る程度以上の地位や収入を確保する為には、学閥や門地などの既存の社会母体の論理に当てはまる必要があり、それを逸脱して成功を収める事が出来る可能性は、今の日本では極めて少ない。
そしてカネと勢力のある人や集団が、事実上政党政治の支持母体となり、こうして輪は閉じられるという事になっているのが、この今の日本という社会の姿だ。
この社会論理は実は極めて狭小な包容力しかなく、非常に清潔平板に管理されており、富と地位と政策決定の各要素はしっかりと手を結びながら、その自律発展を阻むものは、文化であれ、芸術であれ、習俗、歴史、個人の誠実さや、事柄の真実、等は、その限りにおいて切り捨てられる。
このような事があらゆる分野で事細かに自動機械のように動いており、関連し合っているので、事実上結果的に、既存の政党政治の枠の裡では、日本が抱える問題そのものの解決や打開、ダイナミックな展望というものが、本質的には開かれないのだ。
だから、分かりやすく言うと、日本が今後、より一層発展していくのか、また、それと同時に、今蔓延している社会全体の価値観や価値体系を眞に更新していく事が出来るかどうかは、既存の社会全体を覆っている以上述べたような社会論理を破壊する勢力が生まれてくるかどうか、つまり、革命という事が可能かどうか、という事になる。
この点だけからするなら、民主党政権という、余りにも常識はずれな政党の革命思潮はある意味正しいと言える。
が、しかし、民主党の場合、決定的に間違っていると思うのは、かれらの革命や革新といったものの基礎が、わが国のうちではなく、外にある、ということだ。
より具体的に言えば、彼等には日本という国が拠ってたつ活きた過去への感受性が無く、ちゃちで神話的な共産理論や卓上の汎世界主義でしかなく、これを地で行けば、今現在の日本の持す社会論理を超えて、人間集団それ自体の破壊に結果的に繋がってしまうという事だ。
つまり彼等には時間に対する感性が欠落しており、それにもかかわらず彼等が現に政党として政治活動が出来る理由は、彼等が拠って立つ所が、中国共産党のコミンテルン的独裁理論とそこから派生する権力機関とカネであるという理由による。
革命は内発的でかつ今の国際社会全体の発展に、柔軟に創造的に機能する形で発揮されなければならないだろう。
尖閣諸島の事件は、一色正春氏のような存在をある意味生んだと言え、それ自体非常に希望の持てることだ。
また、それと同じような意味で、民主党政権により、国政、殊に安全保障面において、これだけ不安定になってしまった今、沖縄県では、もはや中国の軍事的脅威を排斥する為に国は頼れないという認識のもとに、沖縄県庁内に、総合安全保障課が設置されるという事だが、このような動きも注目するべき、新しい動きと言える。
今後、民主党政権が、野田氏の解散しない宣言にあったようにあと2年近く続くなら、この新しい芽の出る具体的な場面、それはとりもなおさず、日本の危機的な状況が生気するという事でもあるが、しかしそれに呼応して次々に生まれ出てくる事だろう。
民族には、理を超えた生存本能というものがある。
中国共産党一党独裁の国家、異形の帝国である、中華人民共和国の建国は、1949年である。
たかだか62年ばかりしか経過していない国に、民族的な生存本能などが発揮されようとも思えない。
中国4千年の歴史というが、その4千年間の歴史は、言語も習俗、文化も異なる多数の民族が柘榴が割れて実がバラバラと地に散るような、無秩序な覇権・権力・私欲交代の、欲望の事歴でしかなかった。
孔子も、老子も、荘子も、王陽明も、朱熹も、偉大な詩人たちも、皆、中国の政治に絶望し、絶縁した所から自らの表現活動を立ち上げ、普遍まで至ったという意味で、偉大であるのだ。
中国共産党、そして、スケールはやけに矮小化するが、日本の民主党の詐術的政治手法に幻惑される事なく、心ある日本人は、ごく普通に、世界を、わが国の今を、ありのままに見つめる必要がある。


by 透水
国は自分たちで造るものだ。